さもとら家のミケ

よく悩む人

なぜ父が嫌いか

件のNGTの事件を受け、「(暴行が)嫌なら抵抗すればよかったのに」「自衛が足りない」という、お決まりの何言ってんだこいつ意見が散見し、自分が父を嫌いになったきっかけかなと思われる事を思い出した。

小学校4~6年生くらいのとき、家で父と遊んでいてくすぐり合いになった。私はくすぐりに弱いのですぐ笑ってしまうが、長くされると不快である。私は畳の上を転がりまわり、父は中腰で上から手を伸ばしてくすぐってくる。止めてと言っても止めない。多分父から見たら顔が笑っているし、くすぐるほうは面白いだろう。しつこくくすぐってくる。私はキレて父を蹴ろうとするが、足が短くて届かないし、威力が足りない。止めてくれない父。むかつく。嫌いだ。…多分ここからではないかと思った。もともと記憶力がなくて昔のことを覚えない質なのだが、小学校低学年くらいまでは父の仕事の帰りを気にしたり、一緒に買い物に行ったり、嫌いではなかった気がする。この「くすぐりが嫌だった」という記憶から今までずっと父に良い感情を抱いたことがない。反抗する気もなく、休日は父が家にいるから嫌だな、自分はでかけようかなという感情でここまできた。関わるとめんどくさい、おもしろくない人という認識。人からみたら、なんだくすぐりくらい。子供と遊んであげていいじゃないか。と思われるだろうが、私にとっては「殺したかったのに自分の力がないせいで殺せなかった」くらいの気持ちだ。しかもその「力」とは「父親としての家庭内権力」と「男性性の持つ身体の強さ」を指すので、女で父の子供である私には一生持てない「力」なのである。自分の足が空を切る虚しさ、蹴りが当たったのに手応えがない、止めてくれない不安。苛立ち。父は知る由もないだろう。「自分の子供と遊んだだけ」だから。私は「父親に遊んでもらっただけ」だから父を罰することができない。悔しい。むかつく。

もし父ではなく、襲ってくる犯罪者だったら?まず蹴りを入れたところで蹴るなよ~という笑顔ではなく倍以上の力の暴力が返ってくるだろう。笑顔が返ってきたらそれはそれで腹立たしいのだが、行為を止めてはくれないだろう。よく言うではないか、「無駄な抵抗はやめろ」と。多くの女性は、男性に対し「力」で勝とうとすること=抵抗することが無駄なことだと知っている。生物として勝てる見込みがないからだ。勝てる女性もいると思うが、それを基準にするのは違うし、強い女性だからといって襲っていいわけではない。言語や知性というある程度普遍的な能力をお互い持っているにも関わらず、生物的に優位な力を使って押し通すことがどれだけ相手を不快にさせるか。言葉が通じないと感じたらもう話しかけない。それは迎合しているのではなく軽蔑し排除しているのだ。私が止めてと言ったとき、きちんと止めてくれていれば、ちゃんと父を慕う娘ができたかもしれないのにね。残念だったね。